永眠

mere2009-06-14

6月14日、急に激しい雨が降った夜。
私のかけがえのない相棒が月に帰って行った。



家の中と庭でほとんどすべての彼の狭い世界の中心は、
いつも私だった。
彼の中では私は、本当に特別な存在だったのだと思う。
母親でもあり、恋人でもあるような、きっとそんな感じ。
私が数日家を空けると、たとえ他の家族がいても
この世の終わりのような顔をして、
全身に悲壮感を漂わせて待っていた。
私の帰宅に気づくと狂喜乱舞の大歓迎。
そんな愛すべきうさぎだった。
だから長時間家を空けることはなるべく避けたし、
入院中も術前は毎日家に帰って一緒に過ごしたし、
それが海外に出づらい要因のひとつでもあった。
でも、彼の存在を足かせのように思ったことはない。
私は彼のことがとてもいとおしくて、
彼が喜んでくれることがうれしかった。



彼との出会いは、私の一目惚れ。
それまで何十羽のうさぎを見てみても、
みんなかわいいけど特別なものを感じられなくて
困っていたとき、インターネットで
たまたま彼の写真をみつけて、
この子だ! と直感したのだった。
私が生き物に対して一目惚れをしたのは、
今のところ彼が唯一。


私が会いに行くより先に他の人と成約したと電話で聞いて、
思わず私の口をついて出たことばは、
あの子でないと意味がないんです、だった。
普段の私なら理性で抑えてそんな無理は言わないはず。
だけど、そのときは無意識にことばが出てしまった。
それを聞いたブリーダーは、20分以上も
事細かな質問をした上で、先約を断って私を選んでくれた。
私の元に行く方が、彼はしあわせになれると
判断したのだそう。


私の直感は当たり、この8年間、
彼は私の相棒として特別な存在になってくれた。
とてもやんちゃで いたずら好きで くいしんぼで
寂しがりやで やさしくて、雄なのにしぐさがエレガントで、
全身で愛情表現してくれるかわいいうさぎ。
ひとりの夜やひどく落ち込んでいたとき、
彼の存在に、彼の愛情表現に救われたことが
何度あったことか。
シルバーグレーの毛並みも、白いトリミングも、
休みなくひくひく動く鼻も、もぐもぐ動く口元も、
ふかふかとした足の裏も、真っ白なおなかも、
プロペラのように動く耳も、つぶらな瞳も、
みんなみんな大好き。


生と死はいつも隣り合わせだから、
いつ最期が訪れたとしても後悔がなるべく少なく済むように
いつも愛情は惜しみなく注いでおきたい。
動物と人間では、時間の流れ方がちがうから尚更。
私が8つ歳を重ねた間に、彼にとっては70年くらいの
時間が流れていた。


いつの間にか、体の中でなにかがゆっくりと
大きくなって、肺を徐々に縮めてしまっていた。
兆候がほとんど外に現れなかったから、
私はゆっくりと衰えていっているのだと思い、
健康診断でお世話になっていた獣医師も
異変に気づけなかった。
気づいたときには、自力で立って食べてるなんて奇跡的、
今日死んでもおかしくない、といわれる状態。
それでも、彼はよく食べ、走り、発情までしていた。


もっと早く気づいて手を打っていたなら、
遠くの動物病院まで連れて行くべきじゃなかったのか、
そう自責の念にかられて ごめんね、ごめんねと
なでながら涙していると、彼はいつもと同じように
私の手や顔を丹念にいつまででもなめてくれた。
まるで赦してくれているかのようだった。
いじらしくてたまらなかった。


この奇跡が一日も長く続きますように。
そう願って、私はありとあらゆる努力をしてみたけれど、
彼は長く生きることよりも、自分らしい最期を選んだみたいに、
タイミングを見計らうかのように逝った。
私の大変な時期でもなく、家族の忙しい時期でもなく、
彼の苦手な真夏を迎える前に。
酸素ハウスを借りて彼が自由に動き回れなくなる前に。
私が時間の都合をつけやすくて、一緒に最後の濃い時間を
過ごせて、看取れるタイミングで。


いつも以上にあまえんぼになっていたのも、
食欲がなくなっていたのに発情したのも、
自らの死期を悟ってのことだったのかもしれない。
最期の数日間、彼は大好きな庭でのんびり遊び、
私は寝食の時間を削って、私のそばにいたがる彼に
できる限り寄り添った。


最後の日も、夕風に吹かれて気持ちよさそうにしていた。
私と分け合ったにんじんを最後に少し食べた。
最期の瞬間は突然に訪れ、一瞬だけ苦しんで、
あっけなく逝った。
安らかな、満ち足りたような愛らしい表情を浮かべて
私の膝の上で息絶えた。
瞳孔が開いて、瞳の奥の血管から血がひいていくのを、
ピンク色の耳の裏の血管から血がひいて白くなっていくのを、
愛を伝えながら 見守った。
小さな尊い命の、とても美しい死だった。
亡き骸をタオルにくるんでずっと朝まで抱いた。




寂しさはこれから徐々に襲ってくるだろうけど、
出会ってから最期まで、私は惜しみなく
愛情を注ぎ続けてこれたから、悲しくはない。
出会えて、気持ちを通じ合えて、最後の時間をゆっくり
一緒に過ごせて、看取れて、私はとてもしあわせだった。
あちこちに残されたかじった跡も、ころころとまぁるい糞も、
食べかけの牧草も、彼の痕跡の何もかもがいとおしい。


一生を私と過ごしてくれて、ありがとう。
おやすみなさい。